SPECIAL INTERVIEW

TAKÉ

ヘアメイク

―アルバムやシングルのアートワーク、それに付随した宣伝材料用写真やミュージックビデオ、ライブやテレビ出演時のアーティストのビジュアルは、大変に重要な戦略的かつ娯楽的要素となるもので、つまり、 スタイリングとヘアメイク。平井堅の場合、スタイリングはこの連載企画の前回に登場したnadY氏が2007年以降ほとんど手掛けており、ヘアメイクはと言うと、今回インタビューを行ったTAKÉ氏である。平井堅との出会い、そして平井堅のヘアメイク担当になるきっかけは「縁」だった。
「1997年に原宿で仲間と美容室をオープンしたんですが、堅さんがそのお店に来てくださったんですね。ヘアカットをしに、ふらりと。オープンした1997年のことだったと思います。堅さんの知り合いのヘアメイクの方……それはたまたま僕の知り合いでもあったんですが、“ここ良いから行ってみたら?”みたいな感じで紹介してもらったみたいです。だから堅さんとは最初、お客さんとして知り合いました。」
―このとき、TAKÉ氏は平井堅のことを知らなかった。シングル『楽園』(2000年)がリリースされていないブレイク前だったから、という理由ではなかった。
「事前に、(TAKÉ氏のいるサロンを紹介した)知り合いから“平井堅くんが行くからお願いね”と連絡があったんですが、当時は知らなかったんです。と言うのも、僕は1992年から1997年までロンドンにいて、その間一度も帰国してなかったんです。今みたいにネットがあるわけでもなかったですし、なので、日本のいろいろな事情を当時まったく知らなかったんです。」
―それでもTAKÉ氏は、平井堅と初めて会ったときのことを「鮮明に憶えています」と言った。
「背も高くて、礼儀正しかったですし、とても爽やかな感じだったんです。それと、僕はロンドンから帰ってきたばかりで、向こうで流行っていたクラブ系の音を流していたんですね。いわゆる”四つ打ち系”。そこで堅さんに、どんな音が好きなのかを訊いたら、“ソウルが好きです。こういうのは全く聴かないです”と言われ、焦ったことを憶えています。 あと、”ニューヨークとビリー・ジョエルも好き”と。僕、少しだけ住んでいたことがあったので、そこから(ビリーがうまれた)ニューヨークの話をよくしました。それからも、回数は憶えていないんですが、髪を切りに何度かいらしてくださったんですよ。」
―では、「お客さんとして」でなく、アーティストとしての平井堅のヘアメイクを初めてTAKÉ氏が担当したのはいつだったかと言うと、2008年3月12日。テレビの生番組で、出会いから10年以上経ってからのことだった。
「『笑っていいとも!』(フジテレビ)の『テレフォンショッキング』です。どうしてその仕事をすることになったかと言いますと、電話がかかってきたんですね、nadYから。“今、平井堅さんのスタイリストをやっているんだけど、一緒にやってみない?”とお誘いが。」
―このときすでにTAKÉ氏は別件の仕事を通じ、nadY氏との関係性があった。それゆえの連絡だった。そしてこれを機に、TAKÉ氏は2009年リリースのシングル『CANDY』から数多くの現場で平井堅のヘアメイクを担当することになったわけだが、ところで、平井堅のヘアスタイルはいったい、どのようにして決まるのだろうか。
「ビジュアルの方向性が最初からある程度決まっているときがあって、僕はそのプロジェクトのミーティングに参加しているわけではないんですが、nadYから出来上がったイメージを聞いたり、サンプルのビジュアルを送ってもらったりします。たとえば、ピンクのヒゲという具体的なアイデアからスタートした『トドカナイカラ』(2018年)のミュージックビデオ制作のときがそうでしたね。あのビジュアルを美しくシュールに表現できるのは、堅さんしかいないと思います。『Mステ』(テレビ朝日)の緑のヘアもそうでした。逆に、nadYと“どうしようか……”って言いながらアイデアを探っていくパターンのときもあって、 たとえば、『グロテスク feat. 安室奈美恵』のときは、白と黒のコントラストで人の二面性を表現したいとのことだったので、黒の方はメッシュを入れて”クールでワルい堅さんにしよう”みたいなことを話して、 徐々に方向性を固めていきました。大雑把に言うとそんな感じで、ふたつのパターンがあります。どちらにしても、細かいディテールまでこうしてほしいとは言われず、基本的には任せていただいています。その都度、コンセプトや衣装、撮影はロケかスタジオか、ライティングなど、 総合してイメージしながら、具体的なヘアメイクを練り上げていきます。最終的には、堅さんの髪を触りながら、事前に話し合ったこととズレが生じていないか、自分のエゴが出過ぎていないか、ときどき立ち止まって客観的になることも必要なんです。で、出来上がったものを見てもらって、堅さんとみんなから“良いね”って声が聞こえたら、オッケー。撮影スタートです。」
―では、ライブでのヘアスタイルはいったい、どのようにして決まるのだろうか。
「アートワークやミュージックビデオのようにコンセプチュアルになることはないんですが、基本的にはアダルトであること、セクシーであることを意識しています。ここ最近はダンディ系の服が主流で、スーツや、ちょっとカジュアルにドレスダウンしたものも……それはわりとビッグシルエットのものが多いので、髪は長めのニュアンス系でツヤ感をプラスしています。大人の魅力がでるヘアスタイルをつねにこころがけています。」
―スーツはアメリカのファッションデザイナー、トム・フォードのものを着ることもあるとか。トム・フォードと言えば、映画『007 慰めの報酬』(2008年)、『007 スカイフォール』(2012年)、『007 スペクター』(2015年)でジェームズ・ボンドを演じるダニエル・クレイグが着用したことでも有名なブランドである。
「『JAPANESE SINGER』(2011年)のときに着ましたね。トム・フォードを着こなせる日本人、なかなかいないと思うんですね。肩幅があって、がっちりした人じゃないと似合わないんです。あと、色気も必要で、堅さんはばっちり着こなせるんですよ。ブロンドでトム・フォードを着て、モードな堅さんになることもできるし、ヅラをかぶってケント・デリケートゾーン(『KEN HIRAI TV』)を演じることもできる。ターバンに口ひげでインド人風に変身したり(『ソレデモシタイ』 (2014年)、『桔梗が丘』(2013年)ではナチュラルヘアでした。ナチュラルからモード、シュール、コミカルまで、すべて自分のものにして表現できるのが堅さんなので、こちらもクリエイティビティを刺激されています。」
―ライブ前のヘアメイクの時間は「いつも正味1時間くらいで終わります」とのこと。
「堅さんは、お肌がキメが細かくとてもきれいなんですね。なので、ほとんどヘアに時間をかけています。そして、ヘアメイク中はそんなに喋らないです。堅さんはリハーサルの音源を聴いていることが多いんです。集中タイム。音源を聴いていないときは、みんなでおしゃべりしたりします。堅さんはいつもすごくリラックスしたムードで、アットホームな楽屋です。もしピリピリするタイプの人だったら、リラックスさせることも僕の仕事であるとは思っているんですけど、そういうことをまったく必要とされないタイプの方です。実際はすごく緊張していて、これから始まるライブのいろんなことを頭の中で整理しているんでしょうけど。」
―衣装チェンジなど、ライブの途中で楽屋へ戻ったときの様子はどうだろうか。ライブ開始前とはあきらかにテンションが違うはずである。
「確かに現場も堅さんもドタバタです。でも穏やかさはそのままというか。極限の興奮状態でパフォーマンスをして、ときに誰かがミスをしたり、ときにトラブルがあったり、だったら“なにそれ?”みたいなことを言いたくなるのが人間だと思いますが、堅さんが言ってるところは見たことがないです。人として大きい、そこが人としての魅力なんだと思います。」
―ライブ終了後の様子はどうだろうか。
「ほっとしている感じが伝わってきます。クレンジングとスキンケアをして、ちょっと髪を整えて僕の仕事は終了します。いつも気持ち良く終えられるんです。それは、堅さんがスタッフに対して変な緊張感が生まれないようにしているからだと思うんですよ。僕は平井堅というアーティストのビジュアルを作るために現場へ行ってるわけですけど、そういう環境だから、より仕事に集中できるんだと思います。いい現場です。僕から言うのもおこがましいんですけど、堅さんは堅さんの思いのままに、堅さんのペースで今後も活動されていくことを僕は望んでいます。同じクリエイターとして尊敬するアーティストとセッションできることは光栄ですし、そのときにまたバックアップできたらそれほど幸せなことはないです。」
―なお、TAKÉ氏はライブ現場へ行った際は「必ずライブは観ます」と のこと。
「ステージ上の大型モニターでヘアメイクのチェックをします。堅さんのステージはいつも楽しくて感動しちゃうんですよね。そして、ファンの方たちの笑顔を見ると幸せな気持ちになります。同時に身の引き締まる思いがして責任を感じます。堅さんの後ろにはこんなにもたくさんのファンの方たちがいるんだ、こんなにもたくさんの笑顔があるんだってことを実際に目にするたびに、堅さんのためだけじゃなく、ファンの方たちのためにも良い仕事をしなければって思っています。」

Ken Hirai Interview Top

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