SPECIAL INTERVIEW

石成正人

ギタリスト

―ライブへの初参加は2000年の10月と11月、3枚目のアルバム『THE CHANGING SAME』を携え、全国7ヶ所で展開した全国ツアー。それ以来、現在に至るまで平井堅のほとんどのステージでギターを弾いているのが、古内東子やスキマスイッチやJUJUのサポートでも知られる石成正人氏である。
「堅ちゃんはいちばん長い付き合いのアーティストのうちの一人ですね。」
―とても嬉しそうに話す石成氏。平井堅と初めて会ったときも「すごく嬉しかった」と言う。1999年9月のことだった。
「デビュー曲の『Precious Junk』を聴いていて、歌唱力抜群だな、爽やかな人だなと思ってました。それに、バンド仲間と一緒に出ていたテレビ番組で観ていたので、現場へ行ったら“あ!”となって、なんだか、すごく嬉しかったんですよね(笑)」
―石成氏の言う「現場」とは、シングル『楽園』のカップリング曲『What’s Goin’ On?』をレコーディングしたスタジオのこと。この、初めての平井堅とのセッションを石成氏は「堅ちゃんとの仕事なのか、事前に伝えられていたかどうかは憶えていない」と言う。どういうことなのか。
「『What’s Goin’ On?』のアレンジャーは、(のちに『even if』なども担当する)松原憲さんだったんですね。それ以前にも松原さんにはいくつかのレコーディングに呼んでいただいていたので、その一環ではあったんです。“ソウルなギターを弾いてほしい”とリクエストされたことは憶えているんですが……アレンジャーからの連絡内容は基本、日にち、時間、場所。当時は、事前にデモの音源をメールでやり取りする時代ではまだなかったですし、デモを郵送するんだったらスタジオへ直接行って、音を出しながら、話しながら、というやり方のほうが手っ取り早かったんです。レコーディングってそもそもそういうものだった。だから、このアーティストのレコーディングだったのか、ということをスタジオへ行ってから初めて知るのはべつにめずらしいことではなかったんです。」
―ちなみに『What’s Goin’ On?』のレコーディングは、「フィーリングです。アドリブ。だから1テイク目と2テイク目ではぜんぜん違うプレイだったはずです。」とのことで、この石成氏の持つ即興性と瞬発力は、のちに、平井堅の「ある現場」で大いに力を発揮することとなる。そして約1年後、石成氏は冒頭で述べたツアーに参加することになるわけだが、どのような経緯で平井堅のバンドのギタリストとなったのか。
「2000年の夏、ぼくはm-floのサポートでいくつかの夏フェスに出ていて、堅ちゃんが出演するものもあったんですね。ぼくがレコーディングに参加した『What’s Goin’ On?』の入ったシングルの『楽園』が“バーーーッ!”となったあとでしたし、どんなライブをするのか気になっていたのでステージの袖から観ていたんですけど、やっぱりイイ、素晴らしい!って思いました。」
―これは、2000年7月19日に熊本県で行われた野外フェス『NEW PORT LOVE CRUISE』での出来事で、m-floの、すなわち石成氏の出番は平井堅の直前であった。
「m-floのライブが終わって楽屋エリアへ戻ったら、(平井堅の)マネージャーさんが声をかけてきてくれたんです。それが、ツアーのお誘い。ぼくみたいな仕事をしている人は、レコーディングとか、一度だけで終わってしまうセッションはいくつもあって、でもそこで、またどこかで一緒にやれたら良いなって思わないミュージシャンはいないと思うんですよ。だから、ものすごく嬉しかったですね!」
―石成氏が平井堅のバンドのギタリストに招かれた理由はいくつかある。マネージャーによると、『What’s Goin’ On?』のプレイが良かった、そのレコーディングをしたスタジオにおける石成氏の雰囲気が良かったとのことだが、ある「律儀なこと」をしたことがとても印象深かったようだ。
「あの頃(1999年)は、いわゆる駆け出しだったので、とにかく自分のことを覚えてほしかった。どんどん広げていきたかった。だから自分の名刺を作って、なにかあるたび、いろんな人に渡して挨拶していたんです。」
―ツアー初日は、マネージャーが石成氏に声をかけた約3ヶ月後の10月17日。準備期間としては決して余裕のある時間だったとは思えないのだが、石成氏は難なくクリア。さすがだった。
「リハーサルの初日は、ものすごく緊張したのを憶えています。堅ちゃんとマネージャーさん以外、みなさん初めましての方たちばかりだったこともありますし。でも、その緊張感がうまく作用していったのかもしれないですね。どんどん楽しくなっていきましたし、ツアー自体も楽しいことばっかりでした。」
―石成氏は、かつてフジテレビのすぐ近くにあったイベント会場、台場TRIBUTE TO THE LOVE GENERATIONでの開催が12月17日に決定していた『Ken’s Bar Deluxe』へのオファーもされた。
「ツアーがもうすぐ終わるというタイミングで声をかけられまして。そのツアーはフルバンドでしたけど、『Ken’s Bar』はアコースティックですから編成がぜんぜん違うわけです。アコースティックギター1本で歌を支えることに関してまだ突き詰められていない頃でしたから、アコースティックギターでいかに良い音を出せるか、ピックアップ(弦の振動を電気信号に変換する装置のことで、簡単に言うとギターの音を拾うマイク)をいくつも買って付け替えてみたり、それから演奏面も、ただジャカジャカと音を鳴らすだけじゃなくて、しっかりメリハリを付けてどう表現するか。そういったことを研究するきっかけに『Ken’s Bar』はなりました。堅ちゃんの歌に蛇のように絡んで離れないギターを弾きたいといつも思っています(笑)。」
―2001年には8月と9月に4枚目のアルバム『gaining through losing』を携え、全国20ヶ所のホール会場を廻るツアーが展開された。前年、シーン最前線へ躍り出た平井堅の人気は右肩上がり。ツアーの規模は一気に拡大し、10月5日には日本武道館で追加公演が行われた。
「武道館はいろいろな意味で印象的でした。ぼくにとっても、堅ちゃんにとっても初めての武道館で、そもそも武道館のステージに立つこと自体が特別ですし、初めての長期ツアーを経た上での武道館だったので、“辿り着いた!”という感じが強くありました。本編が終わって、ぼくらバンドがステージから捌けるとき、ぼく、気が緩んじゃって、号泣しながら堅ちゃんに抱きついちゃったんですよ(笑)。でも堅ちゃんはもう1曲弾き語りがあって、そしたらそのあと、堅ちゃんも『even if』を歌いながら泣き出しちゃって、堅ちゃんはステージでは絶対泣かない、と言っていたので、、ぼくが堅ちゃんの気も緩めてしまったのかな、いや、ぼくのせいじゃないよな、とかいろいろ思っていたら、終演後、関係者がたくさん集まった会場打ち上げで、“石成さんが泣きやがって!”と挨拶のときに堅ちゃんが言ったので、あー、やっぱりそうなんだ、猛省しないと、と思いつつ、なんか、ちょっと、嬉しいみたいな、ものすごくヘンな気持ちにもなったことを憶えています(笑)」
―そして2003年、石成氏はバンドマスターに任命される。平井堅のバンド内において主導的立場を執る重要なポジションを与えられたのである。
「音楽的なことで堅ちゃんや僕がやりたいことを他のメンバーに伝えたり、事務的なこと、それはたとえば譜面を書くとか、そういう役割ですね。それから、人間関係……好き嫌いということじゃなく、パワーバランスが崩れることがあるんです。音楽のことについてはみんなプロフェッショナルなので言えばわかるんですけど、その音楽をやっているのは人間なので、なにかあったときはそれが音に出ちゃう。そういうとき、波風を立てずに、どうやってうまく修正できるかが、バンマスの大切な役割だと思うんです。」
―ユニークなのは、普通は一人なのだが、平井堅のバンドにはバンドマスターが二人いるところ。もう一人は、デビュー以前から平井堅と交流があるピアニストの鈴木大氏で、この体制は平井堅とマネージャーが話し合って決定したことだという。
「鈴木くんとぼくは、堅ちゃんの音楽をやっていく上で目指すものが同じであっても、そのためのアプローチが異なるときもあるんですね。でも、だからこそ知らないことに気づいたり、相手のアイデアを自分のアイデアに採り入れてみたりと、バンマスがひとりのバンドだったら絶対にできないことがぼくらにはできることもあって、それが良い方向へ向かうんです。バンマスふたり体制はある意味、危険でもあるんですけど、ぼくはとても良いと思っています、鈴木くんもそう思ってくれてると嬉しいです。」
―石成氏と鈴木氏と言えば、平井堅のライブですっかり定番化した『リクエストコーナー』においても重要な二人である。選ばれたラッキーな観客が自分の歌ってほしい平井堅ナンバーをリクエストし、その曲を石成氏のギター、もしくは鈴木氏のピアノをバックに平井堅が歌うこの企画は娯楽性も即興性も人気も高く、そして言うまでもなく、難易度も大変に高いパフォーマンスなのだが、3人はそれを絶対に感じさせない。本当にプロフェッショナル。
「ライブを観たあるミュージシャン仲間が、“あんなこと絶対できない”って言ってたんですが、大きなアクシデントが起きなければ、あとはイイ感じに“パッ!”と終えることができれば、かっこいいコーナーですよ、『リクエストコーナー』は。ぼくは、コードだけが書いてある譜面を前に、どんなアプローチをしても構わないという、ジャズのセッションみたいなライブを若い頃……20代前半にたくさんやっていたんです。ギターソロ!と振られたり、そのあいだにドラムが急に止まったり、色んな事が起こる。でも、そういうときになにをやるか、なにができるかという瞬発力勝負のセッションをたくさんやってきたので、とっても楽しい。それに、伴奏は一人だけだからどういう風にでもできるんです。もちろん曲の雰囲気は全曲、頭の中に入っているので雰囲気を壊すことはしないですし、打ち合わせもしますし……って、ライブ中の堅ちゃんとの打ち合わせは、“こっからここまで飛んで”みたいな、曲のサイズの確認だけ。意外と自由なんです。楽しい。堅ちゃんもいつも楽しんでいるように見えるし、それでお客さんが楽しんでくれているのなら、とても嬉しいです。」

Ken Hirai Interview Top

Ken Hirai Interview Top

MORE