SPECIAL INTERVIEW

亀田誠治

音楽プロデューサー

―そうでなくとも、いずれどこかで出会うことになっていたかもしれない二人である。しかし、そういうことだったのだからそういうことなのだ、としか言いようがなく、となれば、そこに音楽が持つ力を感じないわけにはいかない。何が言いたいのかというと、現在の日本の音楽シーンにおいてもっとも有名なプロデューサーの一人である亀田誠治氏と平井堅との出会いについて、である。
「出会いは、ラジオから流れてきた『楽園』(2000年1月発表作)でした。『楽園』を耳にしたとき、“すごいシンガーが出てきた!”と思ったんです。この、平井……平井なんちゃらさん、あまりの興奮に堅ちゃんの「堅」を聞き逃しちゃっているんですけど(笑)、僕が音楽を作る上で一番大事にしている声という部分を、堅ちゃんの唯一無二の歌声が、いきなりハイスコアで超えてきて、「この人はいったい誰なんだろう!?」と驚いたのを覚えています。」
―一方の平井堅も音楽が持つ力にいざなわれた出会いだった。
「椎名林檎さんのファースト・アルバム(1999年2月発表の『無罪モラトリアム』)を聴いてその歌声に痺れて、この作品をプロデュースしているのは誰なのか、というところから僕のことを辿ってきたという話を聞きました。お互い作品を通して、お互いの事を知ったんですよね。」
―亀田氏は『無罪モラトリアム』収録曲すべてのアレンジャー、そしてベーシストとして参加しているが、平井堅はそのどちらに惹かれたのか。2019年5月22日、『Ken’s Bar』開店20周年記念公演が日本武道館で行われた際、平井堅はスペシャル・ゲストとして招いた亀田氏を“魔法”というフレーズを用いてプロデューサーとしての手腕を絶賛しつつ、“そもそもベーシストして大好き”と紹介していた。要するに、どちらもということか。なお、平井堅が亀田氏にプロデュースを初めて依頼したのは、2002年8月発表の童謡『大きな古時計』である。
「NHK「みんなのうた」で歌うことになった『大きな古時計』のプロデュースオファーだったんですが、これはね、テスト的な意味合いがあったと思ってるんです (笑)。亀田誠治、モヒカン頭(当時のヘアスタイル)、ちょっと得体が知れない、大丈夫か!? みたいな。僕の勝手な想像ですが(笑)、オーディションみたいに、手始めになにか一緒にやってみようということだったのではないかなと。」
―亀田氏は冗談を交えながら最初のオファーを振り返った。そして、その際の平井堅からのリクエストは「僕にとっていちばんハードルの高いもの」だったと言う。
「僕らにとって“基本、お任せします”というリクエストが一番ハードルが高い。死ぬ気でやってくださいということですから。ほぅ、それできたかと(笑)。ただ、僕にとっても『大きな古時計』は子供の頃から親しんで来たすごく大切な曲でしたし、『楽園』で大ブレイクした堅ちゃんが『大きな古時計』という曲で自分を表現することは次のステージへ旅立つ瞬間だなと思ったんです。『楽園』はたしかに大ヒット・大ブレイクしたR&B楽曲ですが、J-R&Bの貴公子の登場という明確なシナリオがあったような気がして。ところが『大きな古時計』は全国津々浦々、北海道から沖縄まで、もしかしてNHKだから海外でも流れるかもしれないし、親子・孫・三世代に届くかもしれない。そういうことを意識してサウンド・デザインをしていった記憶があります。牧歌的なフルートの音であったり、時計の音であったり、設計はすぐにイメージが湧いたので難産ではなかったです。時計の音はピンク・フロイドなどから着想を得て、きちんと音楽的なものにしたかったので、そこはすごく頑張りました。」
―たしかに、平井堅の歌の後ろで聴こえる時計の音には楽器の演奏のような響きがあって非常に有機的。ちなみに亀田氏の言う「ピンク・フロイド」とは、このバンドが1973年3月に発表したアルバム『狂気』のことで、飛行機や時計やレジスターといったさまざまな効果音を巧みに用いた作品としても有名な世界的大ヒット作なのだが、『大きな古時計』からは想像すらできないプログレッシブ・ロックを参考にしていたとは!
「僕自身、椎名林檎さんと一緒にファースト・アルバム、セカンド・アルバム(2000年3月発表の『勝訴ストリップ』)を作ったことで、ここまで振り切っても聞き手に受け入れられる、ここまで振り切ったら聞き手に受け入れられないみたいな、自分の中の物差しが根付き始めていた頃のサウンド・デザインだったので、ピンク・フロイド的な要素があったり、ビートルズ的な要素もあったり、R&Bに寄り過ぎず、かと言って「みんなのうた」にも寄り過ぎず……そうすることで、R&Bの貴公子としてシーンに登場した堅ちゃんに『大きな古時計』でもうひとつの窓口を作るきっかけになるかもしれないと思っていました。」
―実際そのとおりで、この曲の大ヒットを機に、R&Bシンガーというより、ポップ・シンガーとしてのイメージが徐々に強くなっていったことは周知の事実。
「あの夏は一生忘れられないですね。曲がひとり歩きして、どこへ行っても『大きな古時計』が聴こえてきましたし、スタッフさんの努力ももちろん多分にありますが、自分たちで作ったものがこんなにも育つのかと、びっくりしました。それはヒットすることのポジティブな側面なんですが、本当に貴重な体験になりました。」
―それから間もなくして、亀田氏はまたしても平井堅からプロデュースの依頼を受ける。2003年5月発表の『LIFE is... ~another story~』だ。
「『大きな古時計』が良い結果を残したので、亀田イケるかも、仮免OK、路上に出て良し! みたいな感じになったってことじゃないですかね(笑)」
―二度目のオファーを振り返り、そして三度目のオファーとなった2004年4月発表の『瞳をとじて』に関しても同じく、自動車免許取得をたとえにして話を続けた。
「仮免で路上に出て、卒業検定に合格したのが『瞳をとじて』だと思うんです。たしか、2004年にいちばんセールスがあった曲だったと思うんですが(オリコンシングルチャートの年間1位獲得曲)、そういう作品に関われたというのが、初めて音楽プロデューサーのライセンスがぼくに交付されたような気が、本当にしました。『大きな古時計』のときと同じように曲がやっぱりどんどんひとり歩きしていったことも忘れられないですし、『瞳をとじて』は映画(『世界の中心で、愛をさけぶ』)のタイアップだったのでクライアントからのリクエストもたくさんあったんですが、注文に全力で応えるのは魂を売ることではなくて、作品を良くする、ひいてはアーティストのためにもなるんだ、自分はそのために全力を尽くす・集中する、そこになんの疑いも苦痛も感じない音楽プロデューサーとしての亀田誠治が完成したのがこの時期です。」
―2020年11月現在、亀田氏プロデュースによる平井堅のシングル曲は15曲。そのすべてが、映画、テレビドラマ、テレビCMのタイアップ曲として制作されている。
「堅ちゃんも僕もタイアップ先の映画やドラマといったもう一つの顔と常に向き合っているので、課題があるわけです。乗り越えないといけないハードルもあります。クライアントから、もちろんアーティストからもどんな要求があってもそれに応えると決めているので、僕がまだ音楽プロデューサーを続けていられるのは、すべてのステージで高いハードルを課せられているからなのかもしれないですね。そんな中で、1年に1曲か2曲のペースでアーティスト・平井堅に関わるとなれば、こちらが毎回同じやり方で安心したり油断をするのはいけないので、僕のほうから玉砕覚悟で色々提案をすることもあります。玉砕とは、ここから先は行き過ぎちゃっている、これ以上新しい挑戦をすると受け手側が引いてしまうかもしれないという、ギリギリの臨界点を狙うということで、平井堅というアーティストはそこを狙えるし、それを本人も望んでいると感じています。」
―つねに「ギリギリの臨界点を狙っている」ということで、制作時の平井堅のテンションは大変に高いとのこと。
「僕がデモ音源を作って送ると堅ちゃんと制作のやりとりが始まるわけですけど、電話で“先程はああいうふうに亀田さんは言いましたけど、もう一拍後ろで良いかもしれない”と言った15分後くらいに、“やっぱりさっきのなしにしてもう一回亀田さんの好きなようにやってみて”など夜中の留守電に20件くらい入ってるんです、着信履歴が“平井堅・平井堅・平井堅……”みたいな(笑)。それくらい堅ちゃん、情熱的ですよ、自分の作品に関して。そんな中で、ぼくのエポック・メイキングになったのは『ノンフィクション』(2017年5月発表作)。歌だけではなく息遣いまで聴かせるために、とにかく音数を減らしたいっていう領域に入っていて、スタジオで打ち合わせをしたとき、“弾き語りでやりたいんです、楽器一本で最後までいきたいんです”とリクエストがありました。弾き語りの楽器がピアノであればピアノのフレーズを僕がアレンジするのですが、そのリクエストを聞いて、僕も燃えるわけです。アコースティック・バージョンという意味合いでなく、音数を減らして弾き語りにするというアプローチができるシンガーってなかなかいないと思うんです。平井堅だからできることと言いますか、だから、僕のサポートで堅ちゃんと一緒にさらなる高みに行きたいという気持ちになるんですけど、『瞳をとじて』や『POP STAR』や『哀歌(エレジー)』は、一日あれば自分の中で大枠のアレンジができあがったのに、『ノンフィクション』や『知らないんでしょ?』や『half of me』に至っては、ギター一本だけ、ピアノ一本だけけなのにサウンドデザインに4日くらい費やしました。それくらい繊細なアレンジ制作でした。その完成したシンプルなサウンドで堅ちゃんが花束を持って歌った姿を(2017年12月31日オンエアの)『紅白(歌合戦)』で観たとき、泣きましたね。自分たちが信じている音楽の方向性は間違っていないんだ、まだまだ伝えていける力はあるんだという手応えを感じて、本当に涙が出てきたんです。」

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