INTERVIRE STAFF INTERVIEW

野口朱美

ラジオ番組ディレクター

―きっかけは「ただなんとなく」だった。四文字の名前だったら、なんの引っ掛かりもなかったのかもしれない。だとすれば平井堅の未来はどうなっていたのだろうか、などいたずらに話を誇張するつもりはないが、人と人が出会うきっかけは、果たして単なる偶然でしかないということなのだろうか。1995年当時、そして現在もAIR-G’ FM北海道で番組制作を担当する野口朱美氏は、初めて平井堅を知ったときのことを以下のように振り返った。
「私の所には、各方面から毎日CDがたくさん届くんですね。だから、いつもすぐに聴けるというわけではなく、届いたCDを積み上げていくこともあるんですが、ある日その中に“平井堅”という三文字を見つけて、それはただなんとなく気になっただけなんです。誰だろうと思ったくらいで。それはデビュー・アルバムの『un-balanced』だったんですが、聴いてみたら良かったんです。ポップで聴きやすくて、ちょっとソウルフルな感じとか。あと、声が良かったんですよね」
―「ただなんとなく」で聴いたアルバムは「ただなんとなく」なアルバムではなかったということで、野口氏はすぐに動いた。
「Sony Recordsの方に、“この人は誰? リリースのタイミングで札幌へキャンペーンに来ますか?”って訊いたら、じゃあ呼びましょうみたいな話であったと記憶しているんですが……平井さんに初めて会ったのはそのキャンペーンの時です」
―野口氏はインタビュー中、古い話なので細かい部分の記憶ははっきりしていないんですが、という前置きをした上で話すことが何度かあったのだが、その逆もあった。
「一番最初のアルバムのジャケット写真は、顔立ちがはっきりしていて見た限りだとハーフみたいで……それは今でもそうなんですけど、モデルさんみたいな、爽やかな青年という雰囲気の服を着ていたのに、札幌へ来たときは、当時流行っているわけではなかったオーバーオール、それに丸い眼鏡をかけていて、ぜんぜん違う人だったんです(笑)。はっきり憶えていて、その札幌へ来たときの写真、AIR-G’の倉庫を探せば出てくると思います (笑)」
―1995年の夏に初めて会ったときの平井堅のファッションは野口氏にとって衝撃的なものだったが、それはそれ、これはこれ、である。「ただなんとなく」で聴いたアルバムは「ただなんとなく」なアルバムではなかったからで、野口氏は局のイベントへの出演をオファーし、そして秋、平井堅は北海道厚生年金会館(のちのさっぽろ芸術文化の館、現在は閉館)のステージに立つこととなる。動きが早い。デビューから約5ヵ月後の、1995年10月26日に行われた開局13周年記念イベント『AIR-G’ 13th Anniversary Concert』がそれである。
「確かその時のイベントは、“ニューヨークを感じさせるアーティスト”みたいなテーマだったと記憶しています。それで平井さん、あとは米倉利紀さん、横山輝一さん、石井裕樹さんに出演していただいたんですが、平井さん、その時に『大きな古時計』を歌ったんです。しかもアカペラで、1曲目。それまで会場がざわざわしていたのに、シーンとなったんです。平井さんのことを知っている人は会場にほとんどいなかったと思うんですが、澄んだ声で『大きな古時計』を歌い始めたら、みんな急に、真剣に聴くようになって、2曲目の『Precious Junk』はドラマ(フジテレビ系『王様のレストラン』)の主題歌だったので、“ああ、あの人なのか!”みたいな感じになっていたと思います」
―見事な選曲センスと作戦だったとしか言いようがないオープニング2曲。ちなみに、平井堅が『大きな古時計』を初めて生で披露したのはこの日が初めてのことだった。そして以降も平井堅はAIR-G’関連のイベントにたびたび出演し、北海道での知名度を徐々にアップさせていくことになるのだが、それはもちろん、番組出演の影響もかなり大きい。野口氏は開局13周年記念イベントだけでなく、番組出演のオファーもしていた。
「当時月~金で、女性パーソナリティだけの番組を担当していたんですが、新しいなにかを作っていかないとリスナーのみなさんに楽しんでもらえないなと思っていたんです。そこで、番組に男性の声が入ると新鮮かもしれないと考え、平井さんに声をかけました。月に一回、札幌に来ていただけませんかと」
―あるテーマに対するリスナーの声をFAXで募り、それをいつもの女性パーソナリティに加えて男性である平井堅の切り口も併せて紹介するコーナーは好評を博した。
「平井さんの喋りは面白かったです。本人が意識的にそうしていたのか、自然とそうなっていたのかは分かりませんけど、辛辣な言葉を使う時もあって、それもウケた理由のひとつだったと思います。リスナーに返す言葉の対応力は見事で、反射神経が良い、頭が良いんだなと思いました」
―野口氏は平井堅の楽曲のオンエアも忘れていなかった。平井堅の番組ではなかったが、なにげに平井堅に寄った番組にしていたというわけである。
「確かに応援はしていました。でも、応援というよりは、絶対に売れるように持っていきたかったとでも言いましょうか……北海道だけでも良いからファン層を広げたい、北海道からヒットを出したい、この放送局からヒットを出したいと考えていたんです。平井さんは絶対に売れるべきだと……それは、最初は私が思っていただけだったんですけど(笑)、イベントをやるたびに人が集まるようになると、局内のスタッフも少しずつ平井さんを見る目が変わっていきました」
―野口氏、そしてAIR-G’の平井堅に対するサポートがどれだけ熱心なもので、そしてしっかりと結果を出していたのかがわかるサンプルとして、1997年1月の「Winter Tour ’97『Stare At』を挙げたい。まだ平井堅がブレイクする前、だから計3ヵ所という小規模なツアーだったが、注目すべきはその開催都市。東京と大阪と、札幌だった。そして札幌の会場はキャパ500人のPENNE LANE24で、チケットはソールドアウト。AIR-G’でかなりの告知をしたとのことだが、それで必ずしも売れるというわけではないし、もっと言うと、平井堅がAIR-G’でパーソナリティを務めた番組のオンエアは、『2時いろナイトワーク~こんな夜中にごめんね~』が1997年4月から1998年3月まで、『平井堅のオレは歌バカだ!』が1998年4月から2001年3月までだった。先のツアーのあとのことである。
「全国的には『楽園』をきっかけに平井さんの名前は広まったわけですが、北海道ではもっと広まったという言い方になりますね。『楽園』までの約5年、色んなことをやってきたベースが札幌にあったからで、平井さんがブレイクしたときにたくさんの記事が出ましたけど、“私たちはもう知ってるよ”というのは北海道のファンの中にはあったかもしれないですね。ラジオのリスナーは女性が多く、熱烈なファンの方たちもどんどん増えていって、局で平井さんの出待ちをする方は『楽園』が出る前からかなりいました。それは、喋りの面白さで惹きつけて、歌のうまさで惹きつけて、ルックスの良さで惹きつけて、ということだったと思うんです。そういう、平井さんの魅力を知る機会があったからと言いますか……それと歌詞。どうしてなのかと訊かれたら答えられないですけど、平井さんが書いた歌詞から読み取れる切なさ、曲そのものが持っている切なさが、北海道には合うんですよ。そういうタイプの曲は平井さん以外のアーティストでもわりとウケる傾向にあるとは思います。とくにバラード。ただ、そのことに関しては、自分は無意識でした。切なさを感じたから気に入った、好きになったわけではないんですよ。そういうものが、もともと自分は、単純に好きだっただけということで、だから、平井さんに対して熱心になれたのかもしれないと思っています。本能的ななにかが働いていたということだったのかもしれないですね、最初は」
―野口氏が平井堅に出会うきっかけとなった「ただなんとなく」は、本能的なものだったということなのだろうか。ふたりの付き合いは、平井堅のプロフェッショナルとしてのキャリアとほぼ同じ、約25年になる。
「何度も何度も接していくうちに色んな思いが生まれて、今ではもう、親戚のおばさんみたいな感じになっているかもしれないです(笑)。で、一昨年、平井さんが大人になったなあと思うことがあったんですけど、たとえば平井さんがライブで札幌へ来る前日なら、“いまこっち寒いよ”みたいなことをメールで連絡すると返事が来るんですけど、平井さんからメールが来ることはないんです。ところが一昨年に地震があったとき(2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震のこと)、“大丈夫?”ってメールが来たので、びっくり。北海道ということでわたしを思い出してくれたんだ、気が遣えるようになったんだ、堅ちゃんも大人になったんだなあと思って(笑)。あ、堅ちゃんとは人前では言いません。人前では平井さん、裏では堅ちゃん。裏で、“セーターが毛玉だらけよ、堅ちゃん”とか(笑)。わたし、洋服にはうるさいので。だって、最初会ったときの服装はほんとうにびっくりしたから(笑)、こういうのもあるんだよって、ポール・スミスのTシャツをプレゼントしたこともあるんですけど、基本、歌にしか興味がないということなのかな……でも、アーティストはそういうものなのかもしれないです。“え?”という私服のアーティスト、他にもいますから。だから平井さんのファンションセンスだけを責める気はありません(笑)。25周年ということですが、歌を歌うために生まれてきた人なんですから、死ぬまで歌ってほしいです。服より歌!(笑)」

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