INTERVIRE STAFF INTERVIEW

鈴木大

ピアニスト

―2020年5月13日、平井堅がデビュー25周年を迎えたその日にデビュー曲の『Precious Junk』をピアノ一台で奏でる映像が、そのピアニスト自身が持つネット上の公式チャンネルにアップされた。誰も聴いたことがない憂いを帯びたアレンジの『Precious Junk』で、しかしそれは同時に、変わることを恐れずに前へ進もうとするこの曲の主人公のポジティビティが静かに浮かび上がってくる感動的な演奏でもあった。のちに平井堅本人からは「ありがとう」と、お礼のメールが届いたそうである。
「即興です。譜面もなく、なんとなくうろ覚えで……って、じつはちょっと酔っ払っていたんですけど(笑)」
―その『平井堅 祝デビュー25周年!~Precious Junk【自宅ピアノver.】~』を演奏したときのことを振り返ったのは、平井堅のライブで長年にわたってピアノを担当する鈴木大氏。どれくらい長いのかというと、『Ken’s Bar』に関しては1998年5月の開店時からなので、これだけでも約22年。初参加ということなら、1995年12月に大阪と東京と名古屋で行われた当時の最新シングル『横顔』のコンベンションで、そして、ふたりの出会いということになれば、さらに遡ることになる。
「オーディションで知り合ったんです。その当時、女性とふたりでピアノを連弾するユニットを組んでいて(東京音楽大学に在学していた鈴木氏と長谷川久美子氏によるHands two Hands)、ぼくはそれでエントリーしてたんですね。テープ審査から始まって、面接、一次、二次……一年がかりくらいのオーディションで、最後の最後のファイナリストは12組くらいだったかな。そこに残ったんですよ、ぼくたちのユニットも平井くんも。それが初めての出会いでしたね」
―「オーディション」とは平井堅がデビューするきっかけになった『SME AUDITION ’93~Breath』のことなので、ふたりの親交は、平井堅がデビューする以前から始まっていたのだ。
「最初は敵同士ですし、話すというよりは、“うわっ、すっごい歌うまい人いる!”と思って見てて、でも、陰ではずっと“モアイくん”と呼んでて。モアイ像みたいだったから、顔が。“モアイが来たモアイが来た”とか“歌のうまいモアイ”とか言ってて(笑)。で、オーディションは、平井くんは合格して、ぼくたちは負けちゃったんですけど、オーディションで戦ったあとはフラットな気持ちで会えたんですよ。“あ、モアイくんですね。よろしくお願いします”みたいな感じで(笑)。そしたら、平井くんもぼくらのことをなんとなく憶えていてくれて、そこで連絡先の交換をして、だんだん飲みに行くようになって、気が合うなあと……ただ、平井くんはデビューの準備があったので忙しそうだったんですよ。“これからどうなっていくんだろう?”みたいな話をしたのを憶えていますけど、“いま一所懸命曲を書いているんだよ”と言ったこともあって、羨ましいなあと思ったりはしましたね」
―プロフェッショナルの道へ進む平井堅と、それを応援する鈴木氏。まだ単なる友達同士だったふたりは、平井堅のデビュー後、一緒に酒を飲む頻繁が高くなっていったという。
「とにかく、飲んでましたねえ。平井くんがぼくの家へ飲みに来たこともあったし……どうしようもないくらいぼくは大酒飲みで、そういう自分と同じくらい飲む人って、ぼくのまわりでは平井くんしかいないんですね(笑)。ぶっちゃけ、平井くんのほうが強いと思いますけど、うん、酒が大きかったです。ふたりは、酒です。今もそう。酒で繋がってる(笑)。お互い50歳近いので最近は羽目を外すことはなくなりましたけど、昔は記憶がぶっ飛んだこともよくあって、それでもぼくは、ちゃんと帰って、シャワー浴びて、寝るんですね。でも平井くんは憶えていないんですよ、どうなったのかを。道端に倒れてそのまま寝ちゃって、起きたら“ここどこ?”みたいなこともあったみたいで……みたいでって、ぼくは先に帰っちゃってるので。平井くんと別れたことさえ憶えていないので(笑)」
―ところが、酒を飲むだけでなく、ふたりは徐々にセッションも重ねていくようになる。その始まりは1995年のシングル『横顔』のコンベンションライブ。平井堅のキャリア初期にディレクターを担当していたSony Recordsの山下隆通氏が推したことがきっかけで、つまり、鈴木氏にとっての『SME AUDITION ’93~Breath』は平井堅だけでなく、山下氏との繋がりも生まれた極めて重要なオーディションだったということになる。
「ぼくは作曲の専攻だったので、そういう勉強はしていたんですけど、ピアノを弾くことが好きだったんですね。だから大学にいた頃から譜面を書くよりは演奏していたいと思っていたので演奏の仕事をするようになったんですけど、(コンベンションライブを開催した頃は)まだそんなにたくさんしていなかったので、お話をいただいたときは“やりますやります!”みたいな感じでしたね。そのあともインストアライブをやったり、平井くんはラジオのレギュラーを持っていて、そこで毎週歌っていたので、局へ行って弾いたり、局へ行かないときはあらかじめ録音したものを渡したりもしました」
―そして1998年5月29日、東京・ONAIR Okubo PLUSで『Ken’s Bar』が開店となる。
「飲みながら歌を聴いたり歌ったりすることがふたりとも好きだったので、そんなようなことをお客さん入れてやってみようか、飲みながらお互いの好きな音楽を聴かせ合ったりしているようなことがステージでできたら、みたいなことをなんとなく話していたと思うんですね。で、それを形にして大久保でやり始めたわけですけど、構成やいろんなことは素面……あ、ぼくら、わりと真面目なので、そのへんのことは酒を飲まずにちゃんと考えるんですよ。飲みながら、あれやりてえなあ、あれやるか、みたいなエピソードはないです」
―アコースティックスタイルの『Ken’s Bar』の編成は、現在はマックスの場合、ギターとピアノとベースとパーカッション、そして平井堅のボーカルの5人となるが、開店当初はベースとパーカッションがいなかった。このことは、鈴木氏のスキルをアップさせることに繋がったという。
「毎回必死だったんですけど、毎回勉強になりましたね。とくにテンポ感。打楽器がないので、平井くんと合わせるしかないんですよ。走らないように気をつけていないと、どんどん一緒に走ってしまうんですけど、打楽器の方がいるとそうはならない。止めてくれる。でも、騙しの効かない一対一のときは、テンポが走らないようお互い気をつけようねって。これはものすごく勉強になったことですね」
―自身の成長、進化に自覚的な鈴木氏だが、長年にわたってともに歩んできた平井堅の成長、進化に関してもしっかりと実感している。
「平井くんと会ったとき、すでにぼくはわりとクレバーだったんですけど(笑)、今はぼくより知っていることがたくさんある。平井くん、たくさん勉強してきたから。昔は、“こうしたい”って言われたことを、こういうことなのかなって、ぼくが一回ピアノで鳴らして、“あ、それそれ”みたいに確認してもらう流れでやっていたんですけど、最近は“そこ二拍ずつになっているけど、一拍ずつにしよう”みたいに、きっちりジャッジメントして言ってくるようになったんです。ビジョンがしっかり見えていて、具体的な言葉で伝えてくるようになった。『Ken’s Bar』を始めた頃は、お互い、そこまで噛み砕くことはなかったんですけど、だから、リハーサルだけでは片付かない、あまりに難しいことは事前に連絡が来るようになって……あ、これ、めちゃめちゃ最近のことなんですけど、ぼくがデモテープを作って聴かせて、それを何度かパソコンでやり取りして詰めていったこともあったんですよ。平井くん、パソコンもしっかり使えるようになったので(笑)」
―ボーカルスタイルの変化については、2000年のシングル『楽園』がきっかけになったのではないかと鈴木氏は推測する。
「最初に平井くんの歌を聴いたとき、音程にしても技術にしても、こんな日本人がいるのかって思いましたね。オーディションのときから抜群にうまかったんですけど、ファルセット(裏声)は出していなかったんですよね。張り張りな(大きな声を出す)歌い方だったんですよ。たぶん、『楽園』まではそうだったと思います。本人が『楽園』あたりから意識的に歌い方をソフトにして、ファルセットやフェイク(意図的に基本とは違うメロディに変えて歌うこと)を多用し始めたんですよね。平井くんの進化ですよね。外見も(ドレッドヘアに)変えたし。それで大ブレイクしたわけですから、大成功のチェンジですよ」
―デビュー曲『Precious Junk』で平井堅が歌っていたことを、ふと思い出すような内容の発言である。
「正直、『楽園』でブレイクするとは思っていなかったのでびっくりしました。平井くん、“『楽園』でブレイクしなかったらマジでTSUTAYAでアルバイトするかも”って言ってましたからね。ただ、苦戦はしていましたけど、“がんばろうと思うんだ”とも言ってて、自暴自棄にはなっていなかったです。あ、そうならないために酒を飲んでいたのかも……ふたりで飲んでいるあいだはいつも楽しい、みたいな。うん、酒は重要です(笑)」
―ふたりを繋ぐ大変に重要な酒だが、やけ酒をあおったことが一度だけあるという。『Ken’s Bar』が開店した年の1998年、まさに『Ken’s Bar』閉店直後のことで、それはもちろん、『Ken’s Bar』のステージでの出来事がきっかけだった。
「まったくウケなかったんですよ、『ハッとして!Good』(田原俊彦のカバー)が。シーンとしちゃって、こっちのほうが寒くなっちゃったくらい(笑)。それで平井くんが落ち込んだんですよ、ぼくはぼくで間違えたりもして。で、忘れようってことで死ぬほど飲んだんですね。でも結局、ふたりとも忘れなかったんですよ。次の日になってもピッカピカで残っていたんですよ、前日の傷が(笑)。だから、ああいう飲み会はやる必要がないってことになって。あれ以来、もうしていない。会って飲めば馬鹿笑いばっかりですよ。飲んだらハッピー」
―ふたりはほんとうに仲が良い。酒の席で悩みを打ち明けることだってある。そこで、嫉妬心に似たネガティブな感情が生じるのも気心の知れた間柄ゆえのことなのかもしれない。
「酔っているときでも、平井くん、言葉がすばらしいんですよ。悩み相談に乗ってもらうこともあるんですけど……平井くんは新作が出るとインタビュー受けるじゃないですか。どういう気持ちで、どんな経緯でこの曲を書いたのか、テレビやラジオで話しているのを聞いたり文字に起こされたものを読むとすごく的確なので、悔しい(笑)。ミュージシャンとしてじゃなくて、友達として悔しい。悩みごとをこっちがうわーって話したときもうまくまとめてくれて、なんでそんな言葉を使って言えるんだろうって、相談したくせに悔しいと思っている(笑)。とにかく話の組み立て方が上手で、そういう語彙力は、平井くんの作詞能力でもあると思うんですよね」

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